医療における身体化

教授室の窓から

私の敬愛する偉大なる漫画家の手塚治虫氏のブラックジャックの中で、一卵性双胎だった兄弟の一人が病気になって手術を受けると、他方にお同じ部位の痛みが生じるというエピソードがあった。このような症状は、精神疾患としての身体症状の一つと捉えられるだろうが、ここでの身体化とは無縁のことである。

運動音痴と身体化

小さい頃から、球技は得意ではなかった。同じように練習していてもずば抜けてボールの扱いの上手い友人は沢山いたし、当然のようにレギュラーになり、女子生徒から羨望のまなざしをむけられているのを眺めていた。

小さい頃にピアノを習っていた人は決して少なくないが、大人になって鍵盤を前にしたとき、思いのままにメロディーを奏でることができる人は少ない。
正直なところ、練習曲を練習するという行為がつまらないのである。

運動にしても楽器にしても、天才肌でない人間は皆、練習をするしかない。
この練習こそ、身体化への一歩なのである。
「なぜこんな練習をするんだろう」という疑問をいだく子供達に、身体化することの意味を伝えることができたら、もっとみんな一生懸命練習に取り組むかも知れない。

超音波検査における身体化

長年、胎児の超音波検査を行ってきたし、多くの人に超音波検査について教えている立場からすると、いかに身体化するかが、その人が超音波検査が上手になるか否かの境目になると思う。

超音波プローブをもって体に当てれば、目の前のモニターに断面が映し出される。このとき、プローブをどのように傾ければどのような断面が得られるかを想像しながら画像を映し出す訓練をしなければ、いざというときに欲しい断面を出すことはできない。

具体的に言えば、胎児の心臓の左室から大動脈までの経路を映し出そうとすれば、プローブの下にいる胎児の位置を画面から把握し、心臓がどのような向きになっているか想像し、その立体構造を頭の中で作り上げた上で、プローブを手で動かして、どのように「切る」かを考えないと目指す像は映し出されることはない。

難しそうに語ってはいるが、これはすべて理屈である。最初からできるわけではない。ただ、いつも頭の中で考えながら繰り返し繰り返し検査をしていると、そのうち、考えなくても反射的に手が動く。

ここまでできれば、超音波検査を身体化したことになり、まるで自らの目で追うように断面を映し出せることが可能となる。

手術における身体化

手先の器用さという言葉で語られる手術におけるうまさについても、身体化が一つの基本であり、天性のうまさはない。目の前の皮膚を切ればなにが現れ、その下に切り開けばどんな組織を鑷子(せっし;ピンセットのこと)でつまむことになるのか。縫合用の針を通せば、どんな生体組織の中を通過してどのようにその先に現れるのか。常に考えながら手を動かしていくが大切だ。

糸を結ぶとき、その糸はどのような立体構造で絡み合って結び目を形成するのか、電気メスで焼灼するとき、その組織はどのような物理的変化を起こして血液を凝固させるのか、実はすべて医師になるまでに小学生の頃から学んできた理科、算数、数学、化学、物理、生物などの学問から想像できる。

手術野において、予期せぬ出血を来したときも、その出血源となる血管はどのように走行してそこに至っているのかを考えれば、止血は容易であるが、慌てて周囲の組織を凝固しようとしてもやみくもすれば止血は得られない。

分娩の時もそうである。児頭は母体の産道の中で、変形と回旋を行いながら通過する。内診という診察で児頭の向きを確認し、産道という立体構造の中をどのような動きで通過するかを考えれば、吸引分娩などの際に容易に児頭を娩出することができる。

内視鏡手術時代の課題

実は、今、医療技術は内視鏡手技へと大きく変わっている。以前のように開腹や開胸をせず、モニター画面を見ながら、鉗子を動かして病巣を切り取る。この時も、長い鉗子をいかに手のように動かすかが課題である。

優秀なオペレーターも地道な努力(練習)を繰り返すことで上達しきた。

ただ、最近のロボット手術の導入は、身体化へのハードルを大きく下げようとしている。手を動かすとその動きに追随して鉗子の先が動くので、長い鉗子を操作するのよりははるかに容易であるし、そのことが北米で最初に普及した要因だろう。

だれもが均質にできる手技が好まれる。

身体化のための思考

枚挙にいとまがないが、常に考えながら手技を行うことで、次第に技術は身体化し、いつの間にか考えることなく手が動くようになる。

球技でも格闘技でも、どんなトップアスリートでも、なんども同じ動きを繰り返すことで、考えなくても体が動くようにしている。優秀な演奏家は、楽曲を頭にたたき込み、メロディーを脳裏に焼き付け、自分の心のままに指が動かすことで、自分の想いを曲として体現する。

点滴の針を刺すときでさえ、真皮、皮下組織、血管壁と常に針の通過するさまを想像しながら行うことが上手くなる秘訣と思う。

スポーツが苦手でも、考え考え努力すれば必ず(ある程度)上手くなれるのが医療の良い点かも知れない。

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