突然の痛み
それは突然だった。
ソファーから立ち上がり、チェストの上においてあるものを手に取ろうと腰をかがめて手を伸ばした。そして、手に取ったものをダイニングテーブルに運ぶために体の向きをかえた瞬間に、右足に激痛が走った。
まるで、足首を後ろから思いっきり蹴られたような痛みだった。
よくみると足下に、小さな箱が転がっていた。一瞬、その小さな箱が後ろから飛んできて足首にあたったのではと思った。しかも、箱の中身は辞書かそれよりも重たいものがぎっしり詰まっているかのようだった。しかし、手に取った箱は空箱と同じぐらい軽かった。
「この箱につまづいただけ?」
すこし頭が混乱した。
うずくまりながら右足を触るとふくらはぎの筋肉が硬くなっていた。
「あ、切れたかも」
と、専門外の領域の疾患に対して懸念が走った。
痛みが多少治まった段階で右足首を動かしてみたが、背屈、つまり足のつま先を甲(足背)に曲げる動作も、底屈、つまり背屈と逆につま先を下げる動作も可能に思えた。
「完全断裂ではなく、部分断裂だろうか」
淡い期待を抱きながら、痛みが続くため鎮痛剤を飲んでベッドに潜り込んだ。
歩けない
翌朝、不安と痛みのため、早朝に目が覚めた。
おそるおそる歩いてみると、左足は普通の動きをしているが、右足は膝から下が全く機能していない。
歩くとき、自然と踵が上にあがるはずが、右足は全く上がらない。しかも、右足だけで立つことができず、よろけそうになってしまう。
「やばいな」
いろんなことが頭の中で錯綜した。仕事のこと、レジャーのこと、そして将来的にランナーとして復帰できるかということ、まるで散らかった部屋の中を眺めるように、様々な思考がよぎりまとまりがつかなくなった。
「色々考えてもしかたないからまずは病院で診てもらうしかないよ」
と妻が諭すように言葉をかけてくれた。
時間を確認すると、まだ6時台だった。とりあえず受診が可能か、整形外科の医師にメールで連絡した。
さすがにこういった点では、病院で働いているということが助かることが多い。
ほどなく電話連絡があり、診察担当医を紹介してもらった。
淡い希望が砕ける
「先生、これ、完全に断裂してますよ。しかも手術が必要です」
診察用のベッドにうつ伏せになり、触診と超音波検査を行った医師はそくざにそう説明した。
昨夜はほとんど眠れなかった。
アキレス腱断裂でググれば、たくさんの経験談をみることができる。整形外科医療機関のサイトには、アキレス腱断裂の説明とその治療についても詳しく書いてある。
“保存療法” ”部分断裂”
という語句にどうしも期待感が増していたが、その期待は無駄に終わった。
アキレス腱断裂は生死を分ける病気ではない。断裂したアキレス腱が修復され機能すれば、歩くことも走ることも可能である。
それでも、今後の入院、手術、松葉杖や装具装着での歩行を前提として今後の仕事や生活のことを想像すると憂鬱になった。
と、同時に、ここ数ヶ月、ごまかすように対処してきたアキレス腱あたりの痛みに対して、どこかスッキリした気持ちにもなった。
「ちゃんと治そう。そして、また普通に歩けるようになろう」
診察室で、今後の検査の予定を立てている医師の前に座り、どこか妙に清々しい気持ちになっていた。
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