止まらぬ出血 その6(最終章)

物語

「いろいろお世話になりました」

真由美の夫はやっと彼女をこの異空間から連れて帰ることができるという安堵感を示すような表情をしながら深々と頭を下げた。顔には喜怒哀楽といった感情はなく、モノクロな気分の浮き沈みだけが映っていた。

霊安室の玄関前には、葬儀社の黒いバンが止められ、病理解剖が終わったばかりの真由美の棺が後部に搬入されていた。夫が助手席に乗り込み、朝靄の中、しずかに車は大学病院の敷地を出て行った。

孝志も山本も渡部も深々と頭を下げ車が視界から消えていくのを見守った。「少し医局で休んでから帰ったほうがいい。それに三坂と村上が行った処置についてもこっちのカルテにも詳しく書いておく必要があるからもう少し話をききたい。辛いだろうが、家族と本当は本人が辛い。もう一踏ん張りしたら帰すから」そういうと渡部は孝志の肩をポンと叩いた。

救命センターの医局で救命の医師を交えた報告が行われた。孝志、渡部と当直の産婦人科医以外は、救急医ないし他の診療科からのローテートで、地方の大学病院で妊産婦死亡に遭遇することは稀だった。そのため、孝志からの報告に対して納得や驚きといった感情のみならず、一人の若い妊婦が幼子を遺して死亡したことに対する疑心暗鬼といった様々な思いを交錯させながら話を聞いているものいた。

「最初は弛緩出血といって、子宮収縮が悪いために起きているのかと思いました。でも、気づくと出血傾向が思いのほか強くて、、、」

孝志は報告というよりは自身の率直な感想を述べた。

 

「また、報告する。戻ったら、病院もまわりの地域も大変な噂になるだろうが、ともかく今は耐えろ。高橋さんの通夜と葬儀には俺も出向く。ただ、遺族感情がどうなるかわからないから、俺たちが焼香できるかは定かじゃないけどな」

渡部はそういいながら、病院玄関前に止まっているタクシーに孝志と山本を送り出した。すでに東の空に上った太陽は眩しすぎてしかめるほどだった。

孝志は運動会の時に着信を受けて以来、久々にそういうデバイスがこの世にあることを思い出すかのようにタクシーの後部座席で携帯を取り出した。妻の育美からの着信履歴が何度も入っていた。

すでに病院で待機した村上か看護師か、誰かから一報連絡が入ったかもしれないが、育美は帰ってこない夫をただ待ち続けているだろう。緊急手術などで夜遅くなることはあったが、朝まで連絡が無いことは珍しく、なにか緊急事態ではないかと心配しているはずだ。疲れた頭でどうしようか迷ったが、手短にLINEで、今大学から帰る、としか文字を打つ気力はなかった。タクシーは淡々と昨夜救急車が駆け抜けた山道を戻っていった。

 

よろしくお願いします、孝志が神妙な面持ちでカンファレンスルームに入ると、すでに産婦人科、救命救急センターの若手の医師が椅子に座っていた。真由美の死から約3ヶ月が経過し、病理解剖のよる最終診断が判明したため、大学病院でカンファレンスをすることとなった。病理医の数は少ない。そのため、病理解剖が行われても最終診断が出るまで1年程度かかるときもある。今回の症例では死因の究明を急いで欲しいとの産婦人科の渡部の要請に病理学教室が応えた形だった。通常であれば、病理診断書といった書類が送られてくるという場合が多かったが、臨床医と病理医による最終的な話し合いが望ましいだろうとのことでこのような形になった。孝志の病院からは医療安全担当の副院長と事務長、副看護部長もオブザーバーとして参加し、大学病院側も医療安全担当の副院長、看護師長が列席していた。

「まず、肉眼的所見から述べます」

第一病理学教室講師の吉岡が切り出した。あの日、真由美の病理解剖を担当した医師で関西の旧帝大を卒業し、昨年講師として赴任したばかりだった。同じ立場である産婦人科の渡部よりもはるかに若い。彼が優秀なのか、基礎系の教室の人手不足なのか、いずれにしても淡々と表情を変えずに話すタイプだった。

「子宮重量は900gと分娩後としては重く、子宮破裂、頸管裂傷などの損傷はありませんでした。腹腔には中等量の血性腹水があり、DIC(播種性血管内凝固)による影響と思われます。心臓や肺動脈内には血栓はみとめず、肺血栓塞栓症はありません。また胸水が血清のものが溜まっていましたがこれは心肺蘇生時の胸骨圧迫によるものと思われます」

吉岡の淡々とした説明が続いた。最初は肉眼的な所見を述べ、つづいてミクロ、つまり、顕微鏡で検討した組織学的所見の説明だ。

「まず肺組織ですが、末梢および主幹の肺動脈内には羊水成分、つまり、胎児由来の成分は認めませんでした。それはこれらの各種免疫組織染色でも陰性であり、いわゆる羊水塞栓症は否定的でした」

スクリーンに映し出された組織のスライドを供覧しながらの説明だったが、この瞬間に救命の医師から静かなどよめきが起こった。

「ということは、羊水塞栓症はないということですか」

若手の医師が発言したが、吉岡はその言葉を遮るように説明を続けた。

「次に子宮の所見を説明します」

渡部はじめ産婦人科の医師は身を乗り出した。

「子宮筋層にはこのようにリンパ球が浸潤しています。分娩後の子宮という標本が得られることは少ないのですが、子宮筋層にこのような炎症反応がみとめられるということは非常に珍しいと言えます。また、アルシアンブルー染色で陽性の胎児成分を子宮体部筋層の静脈内に認めます。免疫染色で確認したところサイトケラチン陽性、つまり、胎児成分があると言えます」

「つまり、子宮に羊水成分があって、しかも、炎症が強いってことですか」

渡部が口を挟んだ。

「そうです。この点については、羊水塞栓症に造詣が深い静岡医大の谷岡先生の説になるのですが、子宮に羊水成分によって急激な炎症が引き起こされる、いわゆる、子宮型羊水塞栓症という新しい概念の病態になるのかと推察します」

「だから、出血量の割にはフィブリノゲンが下がって凝固障害になる」

「あくまで組織学的所見ですので、血液の凝固系の反応のことは病理の立場からは言及できませんが」

その後、40分程度の細かな説明とやりとりが交わされカンファレンスは終了した。病理診断としてはなじみが薄い“子宮型羊水塞栓症”という文言を診断名に羅列するかの議論があったが、新しい疾患概念として重要なのではないかとの意見が多く報告書には記載されることとなった。

 

翌3月21日、孝志は高橋家を訪れた。真由美の夫には、真由美の葬儀、49日、年末の病理とのカンファレンスの後と逢っていた。決して許しを請うためではなく、自らの今の力ではどうしようもできなかったことに対するやるせなさもあり、それは夫の方がはるかに思っていることだろうが、ともかく顔を合わせていた。

仏壇の真由美の遺影に焼香し、夫と向き合った。

「先生、大学病院に戻るんですね」

医師が少なく地域との密着度が高いこの地域では毎年病院の医師の異動が噂になる。孝志もあと数年と思っていたが、昨年の真由美の死がどのような形であれ、その地域で過ごすのは孝志のみならず、妻の育美にも辛いことだろうとのことで、大学医局が早めの異動を決定した。

「すみません。真由美さんのことからまだ半年も経たないのになんだが逃げるようになってしまって」

「いや、この田舎ですから。真由美が子宮型羊水塞栓症って病気でどうしようもなく死んでしまったとしてもみんな色んなことを言いますから」

夫の言葉を孝志はただ黙ってきいていた。

「でも今でも思いますよ。この病院じゃなかったら、こんな田舎じゃなかったら、都会だったら、大病院だったら」

夫は言葉を詰まらせた。涙をぬぐい鼻をすすっている夫に孝志は襟を正すように向き合っていった。

「高橋さん。私、大学に戻ったら真由美さんのような子宮型羊水塞栓症について研究しようかと思っています。最初はまわりに癌で亡くなる肩が多かったのでその方向に進もうかと思っていたのですが。まだまだわからないことが多くて。真由美さんの死を無駄にはできないし、お子さん達が大きくなったとき、やっぱり納得できないといけないなって思いました。高橋さんが真由美さんの解剖を承諾されたときに言われたことですけどね」

孝志はいつのまにか涙が溢れたそのまなざしを夫に向けて誓うように言った。

(完)

 

あとがき

2017年現在、妊産婦死亡症例検討委員会の報告では、死亡原因の約3割が産科危機的出血によるものとされている。その中でも子宮型羊水塞栓症と推察される症例が第一位を占めている。果たして急激な出血傾向の原因はなになのか、どうすればこの緊急事態に対応できるのか、多くの医療機関がこの病態についての解明ために臨床研究に取り組んでいるのが現状である。

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