碧き波の彼方に 第八話

物語

瀬戸内海を望む地方都市で慎ましく暮らす玲奈は初めての妊娠に戸惑いとときめきを感じながら過ごしていた。彼女の身にふりかかる運命とは。そしてベテランの産婦人科医鹿取祐輔は玲奈に対して何ができるのか。“産まれる”というあたりまえの出来事をとりまくそれぞれの運命を語る。

碧き波の彼方に

第八話

「いってきます」

社宅のドアをあけて翔太は通路に出た。「いってらっしゃい」と笑顔を作って送り出してくれる玲奈の顔を見るとなんだが辛くなった。

昨夜、新しい命ができる喜びに浸りながら、いつものようにプロ野球中継を眺めながら酎ハイを飲み干していたとき、画面に緊急ニュースが飛び込んだ。優奈の死を伝えるニュースは速報として報道された。プロ野球中継を行っていたキー局が優奈に密着取材を行っていたため、その系列のテレビ局の報道はどこの局よりも早く全国を駆け巡った。そのとき、つわりで食欲のない玲奈はソファにもたれかかるようにしてテレビ画面を眺めていた。

優奈が生まれ育った街で、同じように生まれ育った翔太と玲奈にしてみれば、優奈は単なる「同じ地元」ではなかった。優奈がアイドルへの道を進み始めたのは中学2年の時だった。地元発のいわゆるご当地アイドルへ脚光が浴びるようになったのは当時人気のあった朝の連続ドラマがきっかけだったが、ご多分に漏れずこの街もそのようなムーブメントに巻き込まれた。全国至る所にご当地アイドルが出現した。雨後の筍がどのようなものかは定かではないが、例えればそういうことなんだろう。沢山の子達が「地元発」として夢を抱いてにょきにょきと地面に顔を出した。しかし、全国デビューへのステップへと進むことができたのはほんの一握りだった。スターダムへの階段を上り詰めて満天の星空で本当に輝くことができたのは数人にも満たなかった。輝く星のまわりを取り巻く暗闇は誰も光っていることすら知らない星屑となった希望がちりばめられていた。星空のまわりには何もないわけではなく、叶わなかった願いがあふれていた。

中学生の途中で上京した優奈を直接知る若者は決して多くなかったが、その後の彼女の一挙手一投足を地元の若者は応援した。玲奈や翔太が小学の高学年になる頃に優奈は脚光を浴びるようになった。田舎くさい衣服を脱ぎ捨て、内面まで垢抜けるには数年の下積みとレッスンが必要だったが、優奈は見事に生まれ変わっていた。テレビをつければミュージック中心の番組のみならず、情報番組やバラエティーでも優奈を姿を目にするようになった。地元のこども達はまるで自分たちが友達であるかのように、あるいは先輩や後輩であるかのように、その活躍を誇らしげに思い自慢し合った。玲奈もツイッターやインスタをフォローし、優奈をあこがれの先輩として追いかけ続けていた。優奈の輝きは最初はキラキラとした新星のようなまぶしさを呈していたが、次第に落ち着いた安定した光量を保つようになってきた。1等星ではなかったが決して肉眼で見えないような暗さにはならず、つねに星空のある位置に存在した。たくさんの星達の中で星座を構成する役割を得ていた。

約十年の芸能生活の後、優奈は結婚し一時期メディアから姿を消した。しかし、優奈が妊娠したときには所属事務所は再び優奈の登場を画策した。少子化の中でどこからかの力が働いたのか、優奈の妊娠と出産はドキュメンタリーとして取り上げられることになった。いわゆる密着取材である。優奈が東京から地元に戻って分娩をすることになった時、玲奈は我が事のように喜んだ。そして自らの中に小さな命が宿りはじめたとき、その喜びは倍増した。優奈さんのようにと勝手に思い込んでいた。あたりまえのように優奈がお産をし、あたりまえのように優奈が子供を育てる。そんな優奈をお手本にして自分もお産をして子育てをする。そんな妄想を抱いたのは玲奈だけではなかっただろうし、この街に限ったことではなかっただろう。

優奈自身も地元でのお産を望んだ。密着取材を受ける側、芸能人として常にひと目にさらされることに慣れていた優奈だったが、育った地元での出産を望んだ。長く都会にいてはじめて気づいたことだが、地元のJRの駅に降り立つと空気の清らかさを感じる。水を飲めば薬品臭のない味わいがある。風がそよぐ音、鳥のさえずりを耳にすることができ、南を眺めれば日の光にきらめく海をめにすることができた。夜は月の満ち欠けを実感できる月夜の明るさの変遷を垣間見ることができた。自分の中に宿った命のデビューは自然の営みが感じられる場所にしようと決めたのだった。

そんな優奈が我が子の初登場の喜びに浸り、一点のくもりもないつぶらな瞳を見つめ、無邪気な泣き声を心地よく耳にする時はなかった。我が子を分娩したと思ったあとは、医師や助産師の話しかける声、自らの体に何が起きているのかもわからないままで次第に目の前の世界にはベールがかかって深い眠りについた。夢を見ない覚めない眠りだった。

玲奈の前から優奈は消えた。まさに今まで目の前を歩いていた人が消えた。プツリという音を聞き取ることができないくらいの刹那で消えた。それもただ消えるだけではなく、消えるはずではないものが強引にはぎ取られるように消えてしまった。しかも自分もそうなるのではないかという恐ろしい不安を与えながら消えてしまった。優奈のニュースを流すテロップに驚いた玲奈はその後に流される速報の内容に聞き入っていたがその後は口をつぐんだままだった。

「驚いたね、何があったんだろうね」と翔太が話しかけても無言だった。そしてしばらくすると「おやすみ」とだけ言ってベッドに伏せた。

翔太はその後ろ姿をつかむ方法が見つからなかった。「大丈夫だよ、心配ないよ」という言葉が今の玲奈に意味があるとは思えないし効果もないだろうと思った。大丈夫という言葉に根拠もなかった。飲みかけの酎ハイのグラスをテーブルにおいて翔太はテレビの電源を切った。

翌朝翔太が目をさますと、玲奈はすでに起きていたが、その泣きはらしたまぶたをみれば、目を覚ましたというよりは眠れなかったというのが確からしいと思われた。玲奈は「おはよう」とだけ言ってソファにもたれかかって朝の情報番組を眺めていた。つわりは朝がひどいという。翔太は冷蔵庫から取り出した紙パックの牛乳をコップにつぎ、玲奈のために麦茶をグラスに満たした。玲奈の前にグラスを置いたが、「ありがとう」といって少しだけ麦茶を口にしたあとで、えずくのか玲奈は苦い液体を口にしたような表情をしてグラスをテーブルに戻した。数チャンネルの情報番組をはしごしたが優奈の死因について詳しい報道はなされていなかった。

 

優奈の解剖が終わると小林は足早に大学病院をあとにした。解剖が終わったと言ってもあくまでも「マクロ」が終わっただけだった。

病理解剖の手順には、肉眼でその体や臓器の外観、切断面の様子や重量などを観察するマクロ所見を検討する段階と、取り出した臓器を薬品で固定し顕微鏡で観察するための薄い組織切片を作成してその変化を検討するミクロ所見を検討する段階の二つに時間的経過がある。いつまでもご遺体を預かることはできないし、必要な臓器の摘出が終われば、通常数時間を要するマクロの検討の後、ご遺体は遺族のもとへ戻される。お通夜、葬儀、初七日、四十九日といった慣例の手順が経過する中で、死因が報告されることは少なかった。ミクロの所見が得られるには少なくとも数週間から数カ月間を要するのが通常の過程だった。

殺人事件などでは命を奪われた遺体の司法解剖によって「死因は刃物の先端が心臓まで達したことによる」などという報道が事件後数日以内になされることがあるが、それは臓器への外的な力が働いたことを証明することで、優奈のような病死の場合に、マクロ所見からのみで死因を特定できることは珍しかった。肺血栓塞栓症や大動脈瘤破裂などではマクロ所見でおおむね死因は特定できたが、病態が未解明の疾患や症状は多く、臓器に明らかな変化がなければ断定は出来ない。

つまり、病理解剖の第一段階が終わったとは言え、何もはっきりとしたことは言えないのだった。死因を特定し、病態を解明し、医学・医療の発展に資するために献体されたご遺体に報いるには時間を要するのだった。

しかし、優奈の死があまりにも突然に訪れたように小林達には時間的猶予のない問題が生じていた。それが報道だった。

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