最近、上のリンクに挙げるような無痛分娩に関する医療事故報道をよく目にする。
個々の事例のことは私には言及できないが、なぜこのような報道が最近取りざたされているのか、私見(勝手な意見)を述べる。
ちなみに、時期を同じくして、過去数年間の妊産婦死亡症例の中で無痛分娩が関わった事例が何例あった、という記事が流れた。
この記事は上段の報道とは異なり、妊産婦死亡の現状を統計としてまとめたものを公開したものだった。
「無痛分娩」妊婦死亡など相次ぎ…
麻酔使った「無痛分娩」で2人死亡判明…
などといった見出しが並ぶと、一見、無痛分娩は危険なんだ、という受け止め方をしかねない。しかし、冷静にその事実を把握することが大切である。
実は、これらの報道の内容を詳細に読んでみれば「無痛分娩はいけないこと」「無痛分娩は妊産婦死亡の原因として大きな問題となるもの」という事実を述べているのではない。記事の内容、つまり、数字を冷静にみればそのような結論には至らない。
しかし、この種の報道がなされると、短絡的に、「無痛分娩=危ない」というレッテルが貼られたかのような印象を受ける方も多いだろう。
医師が参加しているSNSでは、「どうしてこんな報道をするのか」「無痛分娩が危険という印象操作(今の流行言葉ですが)をしてどうするの」という怒りも声も散見される。
極端論としては、「このままでは無痛分娩はこれ以上できなくなってしまう」という意見もある。
私の個人的意見ではあるが、これらの報道の根底にあるのは、今ある事実をありのままにさらけ出す、つまり、「情報公開がされている」ということだけではないかと思う。
プロフェッショナルオートノミー
この言葉がどれだけ認識されているは定かでないが、この理念(概念)に基づいた行動から派生したものが、今回の情報公開に至っているのではないか、と推測する。
ちなみに、プロフェッショナル・オートノミーに対する日本語の対訳は「職業的自律」になるのだろうが、コンセンサスを得ているわけではない。
この語句の一つの解説例として下記の日本医師会のサイトを挙げておく。
ここでは、「診療に関して外部からの規制(つまり他律)を受けないという自由と共に、診療に関して、実効性のある自己規律のシステムを構築しそれに従って行動していくという積極的義務を伴った自由である」と解説されている。
医師の判断というのは非常に専門的である。専門的であるがゆえにその専門性にすべてを委ねざるを得ない。しかし、その際に、専門性に胡座をかいて、自己を律するシステムを欠いてしまえば、暴走へとつながる。そのために医師は、積極的義務を追っているという訳である。
積極的義務には何が該当するのかは明確には述べることは出来ない。私個人の立場で言えば、患者さんへの説明と同意を求めることもそうであろうし、その都度、その都度、可能な限り最善をつくこともそうだろう。また、日々、医学文献等で学習をすることや臨床研究を行って医学・医療の発展に寄与することもそうであろう。また、自らの行っている医療や医学研究を広く知らしめることもプロフェッショナル・オートノミーではないかと思っている。
だから、今回、妊産婦死亡症例の中で、無痛分娩が行われていたのは〇例でしたよ、という情報公開もプロフェッショナル・オートノミーが派生したものであろうと私には感じてしまう。
では、問題とならないことを情報として公開する意味はなになんだろう、それって意味はあるんだろうか、という疑問が生じるかもしれない。
不幸な医療事故や医療訴訟が起きたとき、報道などを通じてその問題点を認識することがある。と同時に、医療事故が起きないようにするにはどうすべきか、医療訴訟にならないようにするにはどうすべきか、ということにエネルギーを注ぐ方向性が向かう。
こうした動きは、これまでも何度も繰り返されてきたことである。
報道や訴訟とならなくても、病院内ではつねにヒヤリ・ハット報告なんどを通じて事故につながりかねない小さな芽をつむ地道な作業がなされている。
しかし、それだけでは医療の質の向上を引き上げるには限界があるだろう。大きな問題を起こさないような範疇で行動をするということと、より安全な医療を提供するために将来を見越して行動するということには多少の解離があるように思える。
情報公開によってもたらされる効果としては、一つは、世間一般の人々が現状を認識すると言うことである。専門家集団内で有されている情報を公開することによって世間ははじめてその状況を認識する。と同時に、専門家とは違った視点でその情報を捉える。もう一つは、専門家集団に対しても、自らが行っている行動を認識する機会を得るということが挙げられるだろう。専門家集団といっても多種多様な情報がある中でどのような現状であるかは中々認識できない。
今回、無痛分娩を行っていた妊産婦が亡くなったという医療事故関連の報道があった。と同時に、無痛分娩と妊産婦死亡の現状を公開することによって、一概に「無痛分娩=有害ということではない」という専門家が得た情報をあきらかにすることができた。専門家集団の有している情報を公開することによって、余計な不安をかき立てることがないようにできていると感じる。と同時に、ではなぜ一部の医療機関では無痛分娩に関連した問題が起きたのであろうか、ということを我々専門家が深く考える機会にもなっている。自律的規範に則って実態把握をすると同時に今後への対処を認識させられる機会であると思えて仕方ない。
これからもしかして起きてくるかもしれない不測の事態を推定して、不測を不測とせず予測可能なものとするために行動するということは、事故防止のみならず日々の医療の質の向上において、また、専門家集団の意識向上に対してもとても大きな意味があるのではないかと思う。
結果的に、無痛分娩の質の向上がなされ、より安全で安心な医療の提供へとつながるのではないか、と勝手に期待している。
余談ではあるが、プロフェッショナル・オートノミーというものを医師の集団にだけ当てはめればよいのだろうか。
世の中はプロフェッショナルの集合体であるからには、法律内だから、とか、違法ではないから、とかそういった「他律」ではない自律的規範に則った行動で満ちあふれて欲しいものだ。
コメント
素晴らしい考察です。読みってしまいました。
「ファクトとロジック」と「感情」を切り離して考える先生の根底を垣間見ることのできる内容でした。帝王切開術の自家麻酔に比べて、産科医による無痛分娩は明らかにリスクが低いとはずです。
麻酔科医集団のイケてなさを恥じるばかりです(^_^;)
2年前に書いたことなので、自分でも読み返していました。
プロフェッショナル・オートノミーを実践するには、プロフェッショナルとしての自負と自身と謙虚さが必要だなと、改めて思いました。