HPVワクチンの副反応に対する報道や訴訟、学会などの業界団体のワクチン接種の勧奨にも関わらず、このワクチンが開始されたときのような摂取率には到底至らない現実のなかで、先日、村中璃子氏が John Maddox賞をした。
科学的に最も権威のある雑誌の1つである Nature誌 の編集長だった Maddox氏の名を冠したこの賞は、ノーベル医学生理学賞のような研究業績に与えられるというより、今回は、科学的に偏らないジャーナリズムへの賞賛としてあるのだろうと、自分なりに分析している。
日本では、HPVワクチンの副反応に苦しめられている方の度重なる報道、集団訴訟、そして、その訴訟を裏付けるかのような、眉唾ものの実験結果によって、HPVワクチンの摂取率は70%前後から1%未満にまで落ち込んだという。
WHOも度重なる安全性の声明を出している。
しかし、テレビや新聞という、世論を握っているマスメディアがこれらの安全性を報道することはなかった。
日本産科婦人科学会も「HPVワクチン(子宮頸がん予防ワクチン)接種の積極的勧奨の早期再開を強く求める声明」を出しているが、なかなか普及しない。
わたしも患者さんや医療従事者の女性と話をすることがあるが、この安全性に対する情報の普及は皆無である。
「子宮頸がんワクチンって怖いんでしょう」
という声が大半だ。
実際、他のワクチンでもある程度の副反応が起きる。これに対してHPVワクチンによる、いわゆるマスメディアが数年前にとりあげた副反応の発症率に「統計学的な有意差はない」。
統計学的な有意差がない、というのは、このワクチンだけ特有の副反応ではないということであり、ワクチンというもの全般に発症率はわずかだが起きるものだ、ということである。
道を歩けば交通事故に逢うこともある。どこかの交差点が特別に交通事故の数が多く、それが、ある田舎の交差点の100倍の事故数だとしよう。そうなると確かにその交差点は危険である。ただし、田舎の交差点に比較して、交通量が100倍だとすれば、その交差点特有の自己ではなく、「交差点というものはその程度の率で交通事故があるんだ」ということになる。
「そんな交差点を作ったのが悪い」と言われたときどうだろう。
確かにその交差点は問題であるが、それは、交差点の構造が問題ではなく、交差点の交通量が多いことが問題なのである。
そこまで明らかになれば、その交差点の交通量を減らすために別のルートを作るか、あるいは、その交差点には特別に立体交差や信号機の工夫が必要だろう。
話は本題に戻る。
今回の村中氏の受賞について以下の興味深い記事があった。
「科学界のピューリッツァー賞」と称して、ゲーム理論から分析している。
医療における合併症
どんな医療でも多かれ少なかれ合併症がある。私もいろんな治療を行っているが、かならずある確率で合併症に遭遇する。
ただし遭遇した患者さんにしてみれば、わずかな確率ではなく「100%」になる。そのことについては医療者はみな心が痛む。その確率をできるだけゼロにするために努力する。
ただ、その確率が他の医師、他の医療機関の比較して「有意に高い」のでなければ、その医師、その医療機関に何か問題を抱えていることにはならない。
ただし患者さんの立場とすれば、「なんで私が」という心情になるだろうし、そこは低率となるために努力を重ねるのが私たちの努めだろう。
その合併症のために、医療を後退させることはできない。中には、自分の不手際でもないけど、合併症の遭遇したために、その治療行為から手を引く医師も多い。
骨盤位(逆子)の経腟分娩がその代表例かも知れない。骨盤位分娩である程度発症する赤ちゃんへの合併症のために訴訟が起き、今では骨盤位分娩の経験をする若手の医師はほとんどいない。
近い将来、骨盤位の経腟分娩は我が国から消え去るのではないかと危惧している。
インフォームド・コンセントを取り巻く訴訟というファクターが1つの医療技術を過去のものとしようとしている。
今、このワクチンを取り巻く現状で言えば、医師が合併症を畏れているのではなく、社会が畏れているために科学的に有効な手段を用いることができない。
ワクチン接種によって、世界的には子宮頸がんを発症する確率は減少しているという。癌は死に至る病である。ワクチンで発症率を低下させる、という科学的なデータさえも無視される日本独特の現状はいつまで続くのだろうか。
海外で賞賛されることに敏感な日本なのに、今回の受賞が取り上げられないという極めていびつなことを憂う2017年の師走である。
追記
ここからはこの投稿に前後して読んだワクチンの専門家の長崎大学納会森内教授の記事を紹介します。
私の記述よりははるかに素晴らしい(・・;)
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