殻を破るとは
俗に「殻を破る」と言われるが、なにか行き詰まっている人に対するアドバイスとして、あるいは、マンネリ化した状態に飽きた人への助言として、あるいは、いつも同じような状況で変化をしようとしない人への忠告として、「殻を破るしかないんだよ」というような言葉を投げかけることは多いだろうし、投げかけられることも多々ある。“ブレークスルー” という語句もよく使われる。
でも、どうしたらその人は殻を破ることがでるのでしょうか?
どうして、その人は今まで殻を破ることができなかったのでしょうか?
「殻を破る」といわれても、なにが殻で、なにがブレークするものか、それがわからない状況では、破れるものも破れないというのが、その人の本心ではないでしょうか。
時々、若手の医師から質問されることがあります。「どうして先生は今のような生き方になったのですか?」と。「どうしてそのような先端的な医療を身につけてきたのですか」と。
私の回答はいつも同じです。
「いや普通だよ」
いつもの答えである、この “フツー”を耳にして後輩たちはいつも苦笑いします。
医師になって28年目が過ぎ去ろうとしていますが、振り返ると私にとって「殻を破った」かもしれない転換点がいくつかありました。今にして思えばですが、その当時「殻を破っている」という自覚はなかったことです。
殻を破った時、ブレークスルーとなった時を顧みてみると、その際に自分が置かれていた状況は常に「当たり前ではないこと、新たなことに接した時」でした。
まだ周産期医療が黎明期であり、急激な発展をとげる、まさに遡上の時期に新生児医療に没頭したこと、米国で見たこともなかった胎児治療に遭遇したこと、母校を離れて新たな環境で過ごすようになったこと、それらが結果的には私にとって大きな転換点になるとともに、新たなベクトルを産む活動の源になってきました。その時こそが殻を破った時なのでしょう。
エッジ効果
エッジ効果という生物学(生態学 )の語句があります。
ある生物や植物の生息地の境界部分が、生息地とは違う環境である外部から強い影響を受けることをいいます。
つまり、外部環境と接している部分は、接していない部分よりも環境の変化の影響を受けやすく、その影響で、動植物が本来の性質を維持できなくて絶滅することがあります。
いやゆる保護区と呼ばれる地域では、このエッジ効果をなるべく最小限にするために広い面積を確保し、中央に道路など、分断するものをなくすことが重要となります。
つまり、動植物の種の保全という観点からは、外的な影響を極力受けないことが大切になります。そのため、壁や堀を設けて、外来種の進入を防ぎ、在来種を守ると言うことが行われたりします。
殻とエッジ
医学・医療の世界は(というかその世界しか知りませんが)、いわゆる保守的な集団の傾向が強く、なかなか殻を破ることができない環境を作っていると思います。
医局という、閉鎖的な世界は他の診療科との間に大きな壁を作り、同じ診療科でありながら他大学や他の医療機関との交流のない、閉鎖的な集団です。しかし、医局の内部にいれば、居心地は決して悪くなく、まるで家庭の中にいるようなものです。
私自身、医学を学んだ母校の医局に在籍し、その人事で関連病院での研修を行い、母校で臨床・研究・教育に長年携わってきました。外部環境と接するのは学会ぐらいでした。
いわゆる外部環境の医師の発表をきいたり、論文を読んだりしても、へぇーとは思いましたが自分の環境では行えないものは行えない、そんな諦めモードで過ごしてきたこともありました。
自分は日本や世界の潮流にのれないのかな、そんな気持ちを抱いたことも多々ありました。
そんな中で、自ら考案したことでもないですが、自分の内部環境にはない技術や知識、思考方法を学ぶためにとった行動が、結果的にブレークスルーになったと思います。
つまり、あえてエッジに向かう行動です。
遊学・留学のすすめ
エッジ効果を自らにもたらすためにもっとも手っ取り早い方法は、他の施設や他の国に医療や医学を学びに行くことでしょう。
一歩、環境を変えれば、考え方も価値観も大きく異なります。自分がこれまで過ごしてきた世界が、なにか小さく感じたり、方向性が偏っていたりすることに気づきます。
個人的な体験しか述べることはできませんが、いろんな病院の医師や他の職種と接するだけで、大きな刺激を受けますし、こんな考え方もあるんだという驚きも多々あります。
米国で過ごしたときは、そもそも言語も宗教も価値観も異なりますので、ストレスは相当なものでしたが、今まで過ごしてきた日本を見つめ直すにはとてもよい機会でした。しかも、日本では学ぶことのできなかった技術を習得できました。
ここであえて遊学と書きましたが、留学は遊びではない、というお叱りを受けるかも知れません。何かを学びにいくのですから、それは大変重要なことですが、世の中で、いわゆる活躍してきた「偉人」と称される人々をみると、保護区で変化を望まずにじっとしていた人は一人もいないのではと思います。
吉田松陰にしても坂本龍馬にしても、激動の時代に脱藩をしながら諸国を旅していました。今のように情報を得る手段の無い時代、藩の外はさながら外国だったでしょう。藩という閉鎖的な集団の中の常識が非常識になる世界をみることで見識が深まったのだろうなと思いますし、日々、わくわくした気分で過ごしていたのだろうなと勝手に想像しています。
医療機関が変われば医療行為も千差万別です。一般的には同じ医療行為を行っていると思われがちですが、同じような医療行為を行っているだけで、診察方法のちょっとした違い、手術手技の違い、等々、いろんな意味で刺激があります。
学会会場を渡り歩く
これも私が勧めるエッジ効果をえる一つの方法です。
日本産科婦人科学会は、全国で最も規模の大きな産婦人科医が集まる学会ですが、分野としては、周産期、婦人科腫瘍、不妊内分泌やその他の領域に分かれてセッションが組まれます。私の専門領域である周産期のセッションに行けば、会場には馴染みの医師が沢山いますし、多くの発表は自分の守備範囲です。ただそういう機会に敢えて他の領域のセッションでの発表をきくことで、自分の分野にはない新しい考え方を得ることができます。
日本超音波医学会では循環器領域や脳神経領域など、日本周産期・新生児医学会では新生児領域など、といったそういう渡り歩きもよい刺激になります。
ランチョンセミナーでもあえて自分の専門領域ではない発表を選択することがあります。
広くても浅くはない
こんなことを書いていると「広くて浅くなるだけ」という批判も受けそうですが、自分の領域で過ごせば、必然的にその分野は深くなっていきます。なので、せめてエッジ効果を得ることで自分を固有種から個体変化させることが必要ではないでしょうか。
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