碧き波の彼方に 第十一話

瀬戸内海を望む地方都市で慎ましく暮らす玲奈は初めての妊娠に戸惑いとときめきを感じながら過ごしていた。そんな中、玲奈の憧れである優奈が無痛分娩中に死亡し、大きな余波が訪れることとなる。

碧き波の彼方に

第十一話

水田が祐輔のもとを訪れて三週間、優奈の死から一ヶ月が経過した。祐輔は大学病院から歩いて10分程度のところにあるホテルへ向かっていた。瀬戸内海地方は気候が穏やかといわれているが、さすがに師走になれば寒くなる。日本海から吹き付ける湿気を含んだ北風は中国山地で遮られるため、山陰地方は積雪があるが、雪を落とした風が吹きとおる瀬戸内海に面した山陽地方では雪は滅多にみられない。しかし冬はやはり冬だ。街路樹の葉はすでに落ち、大学病院のまわりも殺風景なセピア色の街並みとなっていた。足下の落ち葉を踏みしめるたびにかさかさと音がした。

毎年12月の第2土曜日は、医局の同門会による忘年会が行われる。高度経済成長の頃は華やかだった忘年会シーズンだが、今では忘年会すら行わない会社もあるという。しかし、医局という体質を頑なに維持している医学界では、これも伝統なのだろうか、どこの診療科でもどこの大学病院でも堅実に執り行われている。ただ、以前は県内はもとより県外の同門の医師も参加していたが、最近は参加者も近隣の町の医師に限られる傾向にある。医局、同門という共同体が次第に力を失いつつあることの反映かもしれない。

いずれにしても忘年会は儀式に近い。同じ大学の産科婦人科学講座に属しているか、属していた同門が顔をあわせ、近況を報告するのが常だった。春に入局した医局員は同門会の先輩の前で正式に挨拶をする。しかし、産婦人科医になる医師が減ったことと、初期臨床研修制度による都会回帰の現状には歯止めがかからず、残念ながら地方都市のこの大学病院では今年の入局者はいなかった。今、産婦人科診療を支えている病院で働く医師の大半は40代から50代後半の医師だ。そして新たに産婦人科医になる医師の数は次第に減ってきている。しかも最近は大半の医師は女性となっている。今後は必然的に年齢を重ねた医師が順々に退職し、年代別にみると構成人数の少ない医師が診療の穴を埋めるため、必然的にマイナス成長となる。しかも女性医師の比率が高いため結婚や妊娠・出産を乗り越えて勤務を継続できている医師が中心に産婦人科診療をささえるという構図になる。

医局の人事をとりまとめている祐輔としては、いかに持続可能な現状をつくるかが頭の痛いところだった。父の希祐にしても自分にしても、男性医師が家庭も顧みずにひたすら働くという業務形態は、自らの寿命を縮める以外に成長のない組織構造となっているが、打開策は見つからないというのが正直な気持ちだった。おまけに産科に要求されるレベルは高い。お産の「安全神話」が皆を苦しめている。出口の見えないトンネルを歩いている気分になりながら思いにふけっているといつのまにかホテルに到着した。

ロビーを通り、宴会場のある二階に向かうと、すでに忘年会会場の前で医局秘書が受付業務を取り仕切っていた。すでに多くの同門の医師が来ていて、お互い近況を語り合っていた。裕輔は労をねぎらう言葉を秘書にかけて、自分の位置を確かめて円卓に向かった。そこにはすでに小林が隣の席に座っていた。

「どうした、同門会に来るのはめずらしいじゃないか。案内状の返事では欠席になっていたはずだけど」

祐輔は1ヶ月半前にチェックした出欠のリストでは小林が欠席になっていた記憶を辿り、間違いがなかった思い直してみた。同門会では席順も重要となってくる。おおよそは卒業年度の順番で席順が決まるが、中には隣同士の席になるとまずい間柄の医師もいるため、気をつかう。そのため若い医局員が準備する同門会でも座席表のチェックは最終的に祐輔の役目だった。同学年の小林がいれば必ず自分の隣になるはずだったし、小林が欠席だったので、一学年下の後輩が隣に座るのを決めたのは祐輔だった。

「まあな。同門会の案内は10月だっただろ。あれから例の母体死亡のことがあったし、そのことで教授には色々と世話になることもあるだろうからたまには顔を見せた方がいいかと思って、秘書さんに先日連絡したんだよ」と、少し照れくさそうに小林は応えた。

「教授に気遣いとは、おまえもちょっと大人になったというか、老けたな」

二人はお互い目を合わせると苦笑いをした。

しばらくすると教授が現れ宴席が始まった。同門会長の挨拶の後、浦沢教授による今年の医局の総括があった。毎年余り代わり映えのしない挨拶で、医局員の研究業績の紹介に続いて同門会会員への寄付のお礼の言葉が述べられた。優奈の死も、医局の関連病院のお膝元で起きたことであり、地方ではめずらしくメディアで取り上げられたため言及はされたが、「くれぐれも安全第一で」という言葉が強調されただけだった。浦沢にしてみれば同門の医師のクリニックで起きたことであれば、どのような状況だったとしても巻き込まれることになっていた事件だったが、水田は大学も異なるし、同門会にも属さず、大学病院とは違う町での開業という距離を置いていたため、どこかで起きたことだけど皆さんもくれぐれも安全に心がけて、と他人事のような挨拶だった。

乾杯が終わり、食事とお酒がすすむと次第に宴席は盛り上がってきた。祐輔と小林の円卓は、同年代前後の医師が多かった。関連病院の部長ないし副部長の役職が多く、新規開業して数年を経過したもの、親の跡を継いだものもいた。

「小林先生、どう? 例の母体死亡の件。鹿取先生も剖検につきあったんだろ」

口火を切ったのは、祐輔の3学年上の先輩だった。県境に近い、大学病院からは離れた場所の総合病院の部長で、医療圏が異なるため二人とも彼とは同門会や学会で言葉を交わす程度だった。

「詳しいことは言えないけど、剖検の結果がすべてでしょうね。早く出ないかと結果を待っているんですけどね」と、小林が返答した。

「やっぱり、無痛は怖いですよね。僕はやっていないのでそろそろどうしようかと思っていたんですけど、この一件で絶対やらないって決めたんですよ」

そういったのは、2学年下で親元を継いだ後輩だった。

「元アイドルの密着取材とか引き受けるようなパフォーマンスをするからいけないんだよ」と続けるように1学年上の別の病院の副部長が発言した。

「こういったら悪いけど、やっぱり落下傘開業で来る人って怪しいよね」

「元々、この医局じゃないし。どんな修行を積んできたかもわからないからな」

「儲け主義だったんじゃないの、最初から」

「確かに。子供も東京と大阪の私立の医学部に行かせてるって話だし」

祐輔と小林が言葉を挟む前に、まるでネットの書き込みのように誹謗中傷ともとれる意見が出てきた。一人の妊産婦が死亡して一ヶ月が経過しているが、同じ県内で起きたことでもまるで他人事のような発言が溢れていた。もしかしたら自分もその状況に出くわすかもしれないなんて誰一人思っていなかった。ひとしきり優奈の話題となった後は、祐輔からも小林からもあまり詳しい話が聞き出せなかったせいか、みな興ざめしたようで円卓の話題は子供の進路に移った。年頃の子供達を抱えているものが多く、子供の進学で頭を悩ませているものが大半だった。自分は苦労して医学部に入学したものの、昔と今では受験事情が違う。バブルも弾け、旧帝大の法学部、経済学部や工学部などを目指していた高校生が、国家資格と安定を求めて医師を目指す傾向が顕著となっている。医学部に進学させるべきか、私学の高額の授業料を覚悟すべきか、といった自らにとって逼迫した話題に真剣に話し合っていた。

 

「どうだ、もう一件つきあわないか。飲んでいたから泊まるつもりなんだろ、ここに。ちょっとコートを取ってくる」

忘年会がロビーに出たところで祐輔は終わり小林に声をかけた。コートを受け取って戻って来た祐輔に小林が応えた。

「ああ、そのつもり。どうせおまえが二人でゆっくり話そうかってきりだすと思ってね」と、小林もコートに袖を通しながらこたえた。

「まあな。どうしてもこの会は消化不良になるからな」

そういいながら、二人はすっかり暗くなった街並みに出て行った。

 

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