碧き波の彼方に 第二話

物語

瀬戸内海を望む地方都市で慎ましく暮らす玲奈は初めての妊娠に戸惑いとときめきを感じながら過ごしていた。彼女の身にふりかかる運命とは。そしてベテランの産婦人科医鹿取祐輔は玲奈に対して何ができるのか。“産まれる”というあたりまえの出来事をとりまくそれぞれの運命を語る。

碧き波の彼方に

第二話

「ちょっと楽に息を吐いてください」

そういいながら祐輔は経腟超音波プローブを玲奈の中に挿入した。

超音波診断装置の登場によって産婦人科診療は劇的に変化を遂げた。内診といういわば“神の手”に委ねられた主観的な方法から、画像という誰もが共有できる情報によって診断がなされるということは画期的なことだった。しかも超音波診断はX線を使用するCTや大がかりな装置が必要なMRIとは違ってベッドサイドでのリアルタイムの診断が可能という利点があった。

祐輔が医師になった頃は超音波診断装置が導入される過渡期であり、特に経腟超音波となればなおさら特殊なものだった。祐輔の指導医は、ことあるごとに「内診ができて一人前。経腟超音波に頼るようなら手は必要なくなるぞ」などといったものだったが、経腟超音波検査にやがて軍配は上がった。経腟超音波検査の利点は腟内にプローブを挿入すれば子宮や卵巣が直接観察できることであり、現在ではその利点を活かして妊娠早期の診断や不妊治療に活用されている。欠点は経腟という手技で、女性にとってはかなり羞恥心を抱く方法であるため配慮が必要だ。祐輔のような男性医師の場合は必ず看護師や助産師に立ち会ってもらい、患者に安心感を与えるとともにあらぬ誤解を与えないようにすることが必要だった。祐輔が大学病院で指導している若手は女性が大半を占めるようになり、彼女たちは同性という利点を活かして患者に抵抗感なく診察ができることに祐輔は半ば羨望のような想いを抱くこともあった。

内診台に横たわってカーテン越しに診察がはじまる中で玲奈は不安だった。子宮の中を診る、といったってなにがどうみえるのか、医学知識がないからあたりまえのことではあった。

「本橋さん、左の壁のモニターがみえますか」

玲奈は言われるがままに視線を左に振った。老朽化して色あせた壁に不自然に取り付けられた液晶画面があった。そこには扇型の形の画像が映っていた。

「矢印をみてください。これが本橋さんの子宮で、こっちが子宮の入り口でこっちが子宮の奥の方です」

祐輔は超音波診断装置のトラックボールを動かしながら黄色の矢印を画面上で動かした。装置から玲奈の診ているモニターに画像が転送される仕組みだ。産婦人科ならではのサービスかもしれない。健診に来た妊婦はみな胎児をみるのが楽しみだ。そのため超音波診断装置から別画面に画像を映すようにしている施設は多い。内科を受診して肝臓癌や腎臓癌の画像をあえてみたい画像はいないだろうから、産科特有のシステムともいえるだろう。

「ここが子宮の内膜になっていて、まだ胎嚢(たいのう)が見えないんですよね」

そういうと祐輔は沈黙した。

「え、それって異常とかそういうことですか」

「あ、いやいや、そういうわけではないんですが、ともかく降りてもらって後で説明しましょう」

内診台は今度は下降して玲奈が最初に座った位置まで回転した。不安にかられながら身支度を整えると玲奈は診察室のイスに再び座った。

「最後の月経、つまり、生理の始まった日から計算すると今日は4週3日になります。なのでまだ子宮の中に胎嚢がみえなくても問題はありません。ただ」

「ただ、どうなるんですか」

怜奈は祐輔の言葉に被せるように訊ねた。

「いや本橋さん、焦らないで下さいね。まだ妊娠反応が陽性と言っても時期が早いだけなので、もう少し待てば子宮内に胎嚢がみえます。そうなればちゃんと子宮の中に妊娠しているってことです。なのでもう1週間待ちましょう」

焦り気味だった怜奈も少しその言葉をきいて落ち着いてきたがまだ少しもやもやしていた。

「1週間後に来れば大丈夫ってことですか」

「うーん、たいていは、です。時々子宮外妊娠といって、子宮じゃないところに妊娠することがあって、そうなると子宮の中には胎嚢が見えません。まずは来週みたときに順調に経過していて子宮の中に胎嚢があるのか確認しましょう」

なんとなく納得できたようなそうでないような説明だったが、一週間後の受診の予約をして怜奈は診察室を後にした。

 

「祐輔先生、大学から電話ですよ」

玲奈の診察を終えた時点で、大学病院から電話が入った。

「もしもし、鹿取だけど、どうした」

「先生、すみません、診察中に。実は昨日のカルチのオペの吉岡さんのことで至急連絡した方がいいと思いまして」

電話は大学病院の祐輔の後輩の武田からだった。祐輔は大学病院では講師という肩書きを持ち、主に悪性腫瘍の患者を担当するチームのリーダーだった。地方都市の大学病院では特に産婦人科に潤沢に人員がいるということは皆無で、祐輔は子宮頸癌、子宮体癌や卵巣癌などの悪性腫瘍の手術はほとんどに関わっていた。昨日は武田の執刀する卵巣癌患者の手術指導を行った後に、実家の鹿取医院の産直に来たのだった。癌腫のことをカルチノーマというためカルチという業界用語は広く用いられている。

「どうした、武田。出血か? あと二人患者をみたら大学に戻るから」

「いや、先生。PTEみたいです。今朝から軽い呼吸困難があって循環器内科にコンサルトしたところ、CTを撮ったら肺動脈に血栓が少しありました。とりあえず血栓も大きくないようでヘパリンで経過をみるとのことです」

武田は昨日の卵巣がん患者が呼吸苦を訴え、精密検査にて肺血栓塞栓症(PTE)を起こしていること、血栓の状態からしばらくの間は血液凝固を防ぐ抗凝固療法で経過観察が可能であること、現在は集中治療室に移動して管理していることについて経過をまじえて報告した。

「わかった。じゃあ戻ったら循内(循環器内科)の田口先生に俺からも連絡しておくよ」

祐輔は術後の患者の状態が最悪の事態ではないことに少し安堵しながら診察室の椅子に座り直した。

「なにかあったんですか」と心配そうにたずねる千佐登に「術後の患者が急変したけど落ち着いたらしいんだよね」とだけ伝えると、残り二人の患者の診察を早めに済ませようと机上のカルテを手にした。

 

「お疲れ様でした」

玲奈の後に訪れた患者は子宮脱のリング交換とがん検診希望の女性だった。祐輔が小さいときから通ってきている患者で、鹿取医院での出産経験もある患者だった。さすがに診療所なのでお得意様とか常連という呼び方は不謹慎だろうが、いずれも何かあれば父の希祐を慕って受診する地元の患者だった。二人の診察を終えると千佐登がねぎらうように祐輔に声をかけた。

「院長を慕ってくる方も多いけど、祐輔先生もそろそろですかねぇ」

「うーん、そうだなぁ」

まともに答えているのか、うわの空なのか、なんとも言いがたい応え方をした。千佐登は大学病院で助産師をしていた。祐輔との出会いは鹿取医院ではなく、大学病院だった。祐輔が入局したときに千佐登も助産師として入職したので、若い頃はよく若手同士と言うことで一緒に飲みにもいったものだった。医師として助産師としてお互いの成長を見つめ合った仲だった。千佐登が個人的事情で4年前に大学を辞するときに祐輔が鹿取医院での勤務を勧めたのだった。千佐登の実家は大学病院がある方角とは反対方向の隣町にあり、車を使えば30分ぐらいで通える距離だった。千佐登にとっても大学病院のある場所から少し離れたところでの勤務が望ましかったのでその申し出を快く引き受けたのだった。ただ、大学とは異なり分娩数は少なく、いわゆる一般婦人科患者が外来に大挙して訪れる診療のため、なれるまでは苦労が絶えなかった。

「弓夏ちゃんは元気なの」

椅子にすわり大きなあくびをしながら背伸びをしながら祐輔はたずねた。

「元気よ、最近は。転校して4年になるからね。低学年で移ったのがよかったのかも。最初はいじめとかも心配したんだけど大丈夫みたい。そっちこそ祐司くんは少し話すようになったの?」

いつのまにか診察室の医師と助産師から、昔の仲間同士の会話に雰囲気はかわっていた。

「いやー、それがねー、反抗期って言うか。最近口きいたことないなぁ。塾の帰りも車の中は無言、相変わらずね」

「じゃあ、由起子も大変なんじゃない」

「うーん、帰るとね。祐輔のことでいつも愚痴を聞かされる」

「はいはい、お二人さん。毎週のことだけど祐輔坊ちゃんはお急ぎじゃなかったのですか」

診察室の掃除のために年老いたみずえが入ってきた。鹿取医院が開業したときから掃除や身の回りのことをしてくれる、今で言うところの病棟クラークと清掃係を足して二で割ったような存在だ。祐輔のことも小さな頃から面倒をみていて、どんな歳になってもみずえからすれば祐輔は坊ちゃんだった。

「あ、みずさん。ありがとう。じゃあ、そろそろ帰るよ」

祐輔はバタバタと荷物をまとめると足早に鹿取医院をあとにして大学病院へと車を飛ばした。

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