医学を支える無報酬の作業

教授室の窓から

「医学を支える無報酬の作業」

と題して書きますが、医学のみならず「科学全般」について言えることでしょう。

世の中には毎日数え切れないぐらいの「論文」が出されています。

私も「小さい子が数えられる程度」の論文をこれまで出してきました。

これらの論文は、中高生の時に学んだ「論説文」とは大きく異なります。

論文では、自分の主張したいことを科学的データに基づいて、というか、科学的データに基づいて自分の主張を展開していきます。その際、自分の研究データを指示するような先行研究の論文を引用したり、自分の研究データと異なるデータとの比較をしながら、ひとつひとつ「論証」を展開します。つまり、一生懸命に自分が立てた旗竿が倒れないように基礎を固め、まわりに積み木を積んでいきます。

一方、論説文というのは「論証」はなくてよく、自分の主張を他者に説明するものです。ここにはエビデンスというものはないことも多いです。
新聞の社説、ニュースサイトの解説などの大半は「論説文」です。「個人的な意見」や「論証のない説明」です。
これら多くはメディアに溢れている情報は、メディア内部での原稿チェックはあるかもしれませんが、いわゆる査読はないでしょう。
そこが科学的な論文との大きな差です。

論文を書いたとき、投稿すればある程度以上の常識的な雑誌であれば、必ず「査読」という作業があります。これは、その道の専門家にその論文を送り、内容について詳しく問う方法で、事細かに指摘があります。

「一発リジェクト」

といって、出した論文が「駄目です!」と言って突き返されることもありますし、「あなたの研究データのこの部分の分析がおかしい」「このデータからそういうのは意見が飛躍している」「こういうデータを付け加えなさい」というような様々な意見が出されることもあります。

研究者(医師)は、自分の書いた論文を書いている間に「これはいい論文だ」と過信する傾向があります。あるいは一方的な意見で書き進めて客観性をなくすことがあります。という私もそうなりがちです。だから、一生懸命に書いた論文を提出し、査読結果が帰ってきたときに、「なんてことをいうんだ」「全然わかってくれてない」というふうに感情的になることもありますが、「確かに」と納得せざるを得ないことも多々あります。

ここで当たり前なことですが、驚くべきことは、科学論文を投稿するという仕事をしていない人にはあまり知られていないことですが、

「査読」はすべて「ただ」

ということです。そう、オールフリーです。

ある日メールが雑誌社から届き、「あなたにこの論文を査読して欲しい」と書かれています。イエスかノーかを返事しないでおいておくと、通常一週間ぐらいでもう一度「前にメールを送ったけど査読してくれるの?」というメールがきます。

自分が論文を出したとき、無料で査読をしてくれた研究者のことを思えば、自分としても査読に協力しようと思うのが研究者の性です。なので「いいよ」と返事します。

そうするとだいたい1-3週間の〆切期間で査読をしないといけません。

一生懸命論文を読み、研究の意義、意味、問題点を指摘して返事をする、という労力は大変疲れます。報酬があればいいというものではないでしょうが、科学論文の雑誌は、このような見えない労力に支えられています。

私も年間20-30本程度(数えるのも嫌ですが)の査読を行っています。本当はその数と同じぐらいの論文が出せればいいのですが、そうはいきません。
おそらく多くの研究者が査読に苦しみながら過ごしているのではないでしょうか。

ちょっと愚痴っぽくなってしまいましたが、科学論文を支える現状について私見を交えて書いてみました。

リンクにも張りましたが、最後に査読に役立つサイトを書きに記します。

論文査読レポートで使える英語表現 - 日本の科学と技術
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https://staff.aist.go.jp/a.ohta/japanese/study/Review_ex_top.htm

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